うみぼうずと おひめさま
一
うみぼうずは しょうたいの わからない おばけです。
まっくろな からだを して、海の そこに すみ、きかんぼうずで わがままかってに ふるまって います。
だから、みんなから きらわれて います。なにか 気に いらない ことが あると、あばれまわります。海の 水を まきあげ、くろくもを おこし、つなみを たて、あたりを さわがせます。
さかなや、海に すむ けものたちは、いきの ねを ひそめて、小さく なります。もし そんな とき、ちょうど、ふねでも きかかろうものなら、たいへんです。
「やい、おれさまの いるのが わからぬか。」
と、うみぼうずは 大きな 手で、ふねを たかく もちあげ、あっと いう まに、海の そこに しずめて しまいます。けれど、だれも それを とめる ことが できません。
「また、むほうものの うみぼうずが さわぎだした。こまった ものですね。」
と、りゅうぐうの ごてんに すむ おひめさまは、まゆを おひそめに なりました。
大きな くじらまで、
「これは かなわん。」
と いって、どこかへ にげだしました。
たいや いかや いわしなどの 小さい さかなたちは、なみに もまれて、目を まわして いました。
「おひめさま、どうぞ おたすけください。」
と、ごもんの ところへ あつまりました。どんなに つよい かみさまも 手が つけられないし、こういう ときは、やさしい おひめさまの お力に たよるより ほかに、しかたの ないのを、よく しって いたからです。
「すこしの あいだ おまちなさい。」
と、おひめさまは おっしゃいました。
うみぼうずは、ところきらわず あばれまわった ものだから、だんだん つかれて きました。
この とき、どこからとも なく、いい おんがくが きこえて きました。
二
「はてな。」
と、うみぼうずは、あたまを あげて あちらを みると、赤や 青の きものを きた むすめたちが、うつくしい おひめさまを とりまき、ふえを ふいたり たいこを たたいたり、また、おもしろい 手つきで、おどって いるので ありました。
うみぼうずは いましがた じぶんが あばれたのを おひめさまたちに みられたのかと おもうと、きはずかしく なって じっとして いられず、くらい 海の そこへ かくれて しまいました。
たちまち、くろくもが きえ、あらしが しずまって、空の いろが きれいな うすももいろに さえました。
町でも、おとなや 子どもたちが よろこびました。
「どうして こんな えらい あれが したんでしょう。」
と、たけちゃんが おばあさんに ききました。
「うみぼうずが あばれたんだよ。」
と、おばあさんは おっしゃいました。
そこへ、さんちゃんと きみこさんが あそびに きました。
「はしの ところへ いって みようよ。」
と、さんちゃんが いいました。
「きっと、大水よ。」
と、きみこさんが いいました。
三人が はしまで くると、ゴロゴロと 音を たてて、水が くいに ぶつかりました。
「すごいな。」
と、さんちゃんが かたを いからせました。
「あんな ものが ながれて きた。なんでしょう。」
と、きみこさんが あちらを さしました。くろい まるい ものが、ぶかぶかと みえたり かくれたり して いました。
「うみぼうずで ないかしらん。」
と、たけちゃんが いいました。
「うみぼうずって なによ。」
と、きみこさんが ききました。
「海に すんで いる あばれんぼうさ。」
と、たけちゃんは、おばあさんから きいた ことを はなしました。
「ごらんなさい。そんな ものじゃ ない。なにかの あきだるよ。」
と、きみこさんが わらいました。
あきだわらや、みかんの かわや、いろんな ものが ながれて きました。
「ぼくが 川へ すてた おうま どう したろうな。」
と、たけちゃんが いいました。
三
「きみの おうま どう したの。」
と、さんちゃんが ききました。
「ぼくの いらなく なった おもちゃだよ。」
と、たけちゃんは、小さい とき もって あそんだ、足の とれた うまを ながしたと いいました。すると きみこさんも、
「わたしも いつか、おにんぎょうさんを すてたのよ。」
と いいました。
「みんな 海へ ながれて いったろう。」
と、さんちゃんが いいました。
「海へ いって どう したろうな。」
と、三人は かんがえました。
こちらは、ひろい ひろい 海で ありました。なかでも、うみぼうずの すんで いる 北の ほうの 海は、青ぐろく ものすごい いろを して いました。そこには、うみへびや わにざめや しろくまや、しまの ある うみうまなどが すんで いました。
そして、これらの けものたちは、うみぼうずの けらいに なって いました。
ちょうど 大あらしの あとの ことでした。
「おや、こいつは なんだろう。みょうな ものが ながれて きたぞ。」
と、うみへびが かたわの うまを みつけて、ぐるぐると おもちゃの まわりを およぎました。この こえを ききつけて、わにざめが どこからか やって きて、一口に おもちゃを のみこもうと しました。
「まてまて。そう がつがつするな。みた ことの ない ものだ。ひとつ たいしょうの お目に かけようよ。なんでも かわった ものが すきだからな。これだって たましいさえ はいれば、おれたちの なかまに ならぬ ものでも ない。」
と、うみへびは のらりくらりと しながら、ひかる はらを なみまに みせて いました。
「は、は、は。この ちびに そんな ねうちが あるだろうか。」
と、わにざめが わらいました。
この とき、うみぼうずは ひとり 海の そこに いて、ちょうど たいくつを して いました。ひとの こまるのを よろこぶ わるい せいしつですから、この つぎは どんな いたずらを して、みんなが こまるのを みようかと かんがえて いました。それと いうのも、よの中に じぶんより つよい おそろしい ものが ないからです。ただ、うつくしい おひめさまに みられるのが、なにより はずかしく おそろしいのでした。
どうして うつくしい ものには、わからずやの うみぼうずも かなわないのでしょう。じつに ふしぎでは ありませんか。
四
うみぼうずは さかなや けものたちに、じぶんを 王さまと よばせて いました。
「王さま、こんな めずらしい ものが ながれて きました。」
と、うみへびは おもちゃの うまを もって きました。
たいくつで いねむりを して いた うみぼうずは、目を さまして、小さな うまを 手に とりあげました。
「は、は、は。これは うみうまの かたわの 子どもか。」
と わらいました。
「いいえ、王さま、これは めずらしい ものです。きっと にんげんの すむ おか から、なみに もまれて ながれて きた ものです。」
と、うみへびは いいました。
「なるほど、そうかも しれぬ。どれ、たましいを いれて、はなしを さして みよう。」
うみぼうずは ふしぎな じゅつを つかって、おうまに ものを いわせました。
「おまえは どこの ものだ。」
「わたしは たけちゃんに かわいがられた おもちゃです。」
「どうして そんな かたわに なった。」
と、うみぼうずが ききました。
「ポチが くわえて ふりまわしたり、タマが じゃれて ひっかいたからです。」
と、おうまが いいました。
「なぜ おまえは おこらないのか。」
「いぬや ねこは、わるいと いう ことを しりません。」
と、おうまが こたえました。
「おかしな やつだな。おれが かわりに かたきを うって やろう。みちあんないを せい。」
と、うみぼうずが いいました。
「あの なつかしい 町へ、わたしは かえれるのですか。」
と、おうまは おどろきました。
「だまって ついて くれば いい。」
と、うみぼうずは にらみつけて、くろくもを よびました。たちまち 海の 上が くらく なりました。
くもの 上に のると、うみへびの からだは だいじゃに ばけました。また、うみぼうずの あたまは 天まで とどきました。おうまも わにざめも しろくまも、みんなが 大きく ばけました。
「さあ、でかけるぞ。」
と、うみぼうずは 手を あげました。
五
海の ほうから くろい くもが でて、つめたい 風が ふくと おもうと、ゴロゴロと かみなりが きこえました。
あそんでいた たけちゃんや きみこさんが びっくりしました。
「あっ、ひかった。」
「大きいのが なってよ。」
と、きみこさんが いいきらぬ うちに ゴロゴロと いう 音が、はや あたまの 上で きこえました。
「また あとで あそぼうね。」
と、ふたりは あわてて おうちへ はいりました。
たけちゃんは くつを ぬいで かけあがると、おばあさんの おへやへ いって、
「また うみぼうずが あばれだしたね。」
と いいました。
しんぶんを みて いらしった おばあさんは、めがねを はずしながら、
「もう、夏が すぎるのですよ。この あとは、めっきり すずしく なるでしょう。」
と おっしゃいました。
「そう すると、うみぼうずは あばれなく なるの。」
と、たけちゃんが ききました。
「うみぼうずかい。夏の うちは よく あばれるが、秋から 冬へ かけて、さむく なると あばれても おもしろく ないから、らいねんまで 北の くらい 海で いねむりを して、また あたたかに なると、くもに のって りくの ほうへ やって くるのです。」
と、おばあさんは いわれました。
そう きくと たけちゃんは、きらいな うみぼうずだけれど、ひとりぼっちなのが なんだか かわいそうな 気が しました。
「おばあさん、かみなりは とおくへ いったようだね。」
と、たけちゃんは 耳を かたむけました。
「あたりが あかるく なったから、もう こっちへは きませんよ。」
と、おばあさんは おっしゃいました。
そう きくと、たけちゃんは あんしんして、また おもてへ でました。
すると、あちらの 山の ほうへ、くろい くもが ぴかぴかと いなびかりを のせて うごいて いるのが みえました。
「おや あの 一つの くもは、ちんばの おうまみたいだ。」
と、たけちゃんは じっと 空を みつめました。
その くもは、いつか 川へ すてた おもちゃの うま そっくりの かたちでした。
ちょうど この とき、空では うみぼうずが おうまに むかって、
「じぶんの 町を わすれる ばかも ない。はやく いわぬか、おまえの 町と いうのは どの あたりだ。」
と、いらだたしそうに きいて いました。
六
おうまは、とおく 下の ほうに、たけちゃんが いるのを みて、なつかしくて たまりません。どうして こまらす ことなど できましょう。
「王さま、わたしの いた ところは ここで なく、あの 森の 中です。」
と いって、のはらを さしました。
「そうか。あの 中か。それなら あすこへ 大雨を ふらせて やろう。」
たちまち、たきのような 大雨を のはらの 森へ あびせました。
ぴか ぴか、ゴロ ゴロ。
天地が ゆれうごきました。
「は、は、は、このくらい あぶらを しぼれば、たいてい ちぢみあがるだろう。」
と、うみぼうずは きもちよさそうに わらいました。
「もしもし 王さま、ここは 町では ありません。」
と、わにざめが いいました。くいしんぼうの わにざめは はやく 町へ いって、なんでも おいしい ものを、はらいっぱい たべようと おもって いたのです。ところが、あてが はずれ、くやしくて たまりません。
「かたわの うまめが うそを いったのです。」
と、わにざめは いいました。
「なぜ おまえは、うそを いうのか。」
と、うみぼうずは おうまを しかりました。
「いいえ、うそでは ありません。この 森の 中は にぎやかです。うそと おもうなら、おりて ごらんに なれば わかります。」
と、おうまは こたえました。
「じゃ、わたしが おりて みましょう。」
と、うみへびが いって、さっそく じぶんの のって いる くもを、森の 中へ おろしました。おうまも うみへびに つづいて 下へ おりました。
なるほど、いろいろの とりが ないて います。おんがくかいが あるようでした。うみへびは いままで こんな いい こえを たくさん きいた ことが ありません。また、そこここに いろとりどりの くだものが みのって いました。すべて、海の 中では みられない ものばかりです。
森には りっぱな おてらが ありました。どこかの りゅうぐうの ごてんに にて いました。やねの 上を こし、木の あいだを ぬけると、ひろびろと した いけが ありました。そこには たくさん 赤 白 ぶちの さかなが およいで いました。
「なかなか いい ところだな。こんな ところに すんだら、さぞ おもしろかろう。」
と、うみへびは おもいました。
この とき、うみぼうずが はやく もどれと あいずを したので、うみへびは いそいで、おうまを のこした まま 空へ まいあがりました。
「ぐずぐずしては おれぬ。ひめたちが こちらへ やって くるようだ。」
と、はにかみやの うみぼうずが 西の 赤い 空を みて いいました。
七
ほんとうに 王さまは 気みじかだ。わたしの ほうこくも きかず、そして、森も みずに さっさと ひきあげて しまって、おしい ことだと、うみへびは ひとりごとを いいました。
「下の ようすは どんなだったい。」
と、わにざめが そばへ きて いいました。
「まったく いい ところさ。みんなに みせたかったよ。おれは おちついて すみたいと おもった。」
と、うみへびが こたえました。
「そうか。そんなに いい ところなの。それでは おいしい ものが たくさん あったろう。」
「あったとも、いい においの する くだものが、木に すずなりに なって いたし、いけには きれいな さかなが うようよ およいで いたよ。」
「それは いい ものを みたね。にんげんは なにを して いたかい。」
と、わにざめは ききました。
「なにぶん、かみなりは なるし、雨が ふるので、すがたを みせなかったが、りゅうぐうの ごてんのような うちが あったから、たぶん あすこに いるのだろう。まだ おもしろそうな ものが あったけれど、王さまが およびなさるので もどった わけさ。」
と、うみへびが いいました。
この とき、みんなの のって いる くろい くもは、たかい 山の いただきを こして、海へ でようと して いました。山には 雪が つもって、どの 山も 白く ひかって いました。
「おれは はやく かえりたい。ひょうざんが こいしく なって きた。」
と、しろくまは ねっしんに 下を みおろしながら いいました。
王さまの うみぼうずは それを きくと、
「そうとも、にんげんの せかいなど、ながく いる ところでは ない。にんげんほど うそつきで よくばりで たがいに けんかを する やつは、どこにも いないだろう。うみへびの あとを おい、下へ いって それきり もどって こない あの かたわの うまも、にんげんに かわいがられたばかりに、うそを つくのを おぼえたのだ。かわいそうな やつさ。おれたちは これから あらしと 雪と 大なみの 中で、あんしんして 夏まで くらせるのだ。もし、ふねでも やって きたら、ひっくりかえして あばれて くれるぞ。」
と、大きな こえで いいました。
「王さまは きかんぼうずだ。」
と、うみへびが わらいました。
「あれほど げんきが ありながら、どうして おひめさまが こわいのだろう。」
と、わにざめが ふしぎがりました。
「それは ふしぎで ない。やさしくて ただしい ほうが、わんりょくで つよいのより えらいに ちがいないから。」
と、うみへびは いいました。
八
いえの そとで、きみこさんや みつこさんや たけちゃんたちが あそんで いました。
西の 空には ももいろの くもが、花びらのように とび、それと まじって 赤い くもが はたのように たなびきました。
「ごらんなさい。まあ、きれいだこと。あの くも ながい たもとのように みえない。」
と、きみこさんが 空を さしました。
「きっと、こんばん およめいりが あるのだろう。」
と、たけちゃんが いいました。
そう きくと、みんなは おせっくの おざしきに かざる、うつくしい おひめさまを そうぞうしました。そして、いま くもの 上を、おひめさまと おともが ゆるゆると つづくような 気が しました。
「いつかも うちの おばあさんが、雨を ふらした うみぼうずは、もう 海の おうちへ かえって、おひめさまが おほしさまの ところへ およめいりなさるので、空が きれいだことと いったから、きっと およめいりの ぎょうれつなんだよ。」
と、たけちゃんが いいました。
みんなは、しばらく 空を ながめて いました。
「あちらは ごくらくでしょう。」
と、みつこさんが いいました。
「ごくらくって どんな とこなの。」
と、きみこさんが ききました。
「いい ところ。まい日 お天気で、いやな ことや かなしい ことの ない ところよ。」
と、みつこさんが いいました。
「あの 山の あちらだね。ぼく 大きく なったら いって みるよ。」
と、たけちゃんが いいました。
「にんげんの いけない とこよ。」
「そんな とおい とこなの。」
「ひこうきに のったら いけるだろう。」
めいめいが おもった ことを いって、目を かがやかしました。
「わたし、あの 小さい くもに なって みたいわ。」
と、みつこさんが いいました。
「きょねん、わたしが 川へ ながした おにんぎょうみたいよ。きっと くもに うまれかわったのだわ。」
と、きみこさんが いいました。
そして、その ばん、きみこさんは おうちへ かえって、うみぼうずと おひめさまの はなしを すると、おとうさんは、
「おもしろい おはなしだね。けれど、空の 上ばかりで なく、下の よの中にも、うみぼうずも いれば、また、おひめさまのような やさしい 人も いるのだ。」
と いわれました。
「やはり、うみぼうずや おひめさまが いるのですか。」
と、きみこさんが いいました。
「そうだよ。かみさまと ちがい、にんげんだから そう やさしい うつくしい おひめさまは すくないけれど、もっと たちの よく ない うみぼうずは たくさん いると おもうよ。」
と、おとうさんは いわれました。
九
きみこさんは、学校の うんどうばで あそんで いると、
「うみぼうず、おまえが わるいのだ。」
と いう、男の 子の こえが きこえました。
おどろいて そちらを みると、二、三人の 子が、あたまの 大きい せいの たかい、つよそうな 子に わる口を いって にげ足を して いました。
きみこさんは、あだ名を いわれた 大きい 子を、ほんとうに うみぼうずみたいだと おもいました。
「おぼえて いろ。」
と、うみぼうずは あいてを にらみつけました。
「おまえが ひとの まりを なくしたのでは ないか。先生に いいつけて やるから。」
「ふん、なにが こわいもんか。」
うみぼうずは りきみかえって あちらへ いって しまいました。
「まあ、なんて らんぼうな 子でしょう。おとうさんが どこにでも うみぼうずが いると おっしゃったのは、ほんとうの ことだわ。」
と、きみこさんは おもいました。
おうちへ かえって、おもてで、みんなと あそんだ ときでした。
「たけちゃん、うみぼうずを しって いない?」
と、きみこさんが ききました。
「いつか おばあさんの はなした?」
「いいえ、ほんとうの うみぼうずよ。」
「そんな もの いるものか。」
「いてよ、学校に。しらないの。」
と、きみこさんが いうと、そばに いた みつこさんが、
「ああ わかった。」
と いわぬばかりに、パチパチと 手を たたきました。
「さんちゃん、きみ しって いる。」
と、たけちゃんが さんちゃんに いいました。
「だれの ことだろうな。ぼくも しらないよ。」
と、さんちゃんは くびを かしげました。
春先の ばんがたの 日が、こうばいいろに みんなの かおを てらしました。
「きみこさん、わたし みたわ。あとで あれは うみぼうずだと、ほかの 子が はなして いたから。」
と、みつこさんが つぎのような はなしを しました。
「やきゅうぼうを かぶった かわいらしい 一年生の 小さい 子が、学校の かえりに、ももの 花を もって いると、あたまの 大きい つよそうな 子が、その 花を よこせと いったの。これは おうちへ もって いくので やれないと いうと、むりに もぎとろうと するから、小さい 子は なきだしそうに なったのよ。」
「その とき、ほかに、だれか いなかった。」
と、たけちゃんが ききました。
「いたけれど、らんぼうされるのを こわがって、みんな だまって いたわ。」
「そして、どう した。」
と、さんちゃんが いいました。
「うみぼうずは とうとう 花を もぎとったの。小さい 子は かなしく なって、おかあさん……と 大きな こえで よんだの。」
「かわいそうに。」
と、きみこさんは 目に なみだを ためました。
「おまえは よわむしだから、すぐ おかあさんなんて いうのだろう。こんな ところで よんだって きこえるものかと、うみぼうずは わらって いたわ。」
「わるい やつだなあ。」
と、さんちゃんは おこりました。
「するとね。どこかの やさしい おばさんが とんで きて、どう したのと いって 小さい 子に きいたの。この とき わたし、ほんとうに うれしかったわ。みんなが わけを はなすと、その まに うみぼうずは 花を なげすてて、にげて いって しまったのよ。」
と、みつこさんは はなしました。
十
ある 日、うみぼうずが 白い 子いぬの くびに なわを つけて、ひいて いきました。あとから せの ひくい 男の 子が ついて きて、
「きみ、その いぬを どうするの。」
と ききました。
「川へ すてるのさ。」
と、うみぼうずが いいました。
「なぜ そんな ことを するの。」
「こいつが まいあさ かきねを くぐって、ぼくの 花ぞのへ はいり、うんこを するからさ。やっと きょう つかまえたんだぜ。」
「でも、ころすのは かわいそうじゃ ないか。」
「しかたが ないだろう。こらして やるんだ。おまえも いっしょに おいでよ。」
と、うみぼうずが いいました。
「そんな らんぼうを するなら、ぼく いっしょに いかない。」
と、せの ひくい 子が こたえました。
「いやなら こなくても いいよ。その かわり、ぼくも これから おまえの いう ことを きかないからな。」
と、うみぼうずは くりくりと した 大きな 目だまで、あいてを にらみました。
気の よわい 男の 子は、あとで いじめられるのが こわくて、しかたなしに うみぼうずに ついて いきました。
ちょうど ここを とおりかけた みつこさんは、この ようすを みて、じぶんも うみぼうずが にくらしく なって、なにか いって やりたかったけれど、やはり 気おくれが して、つい その まま うちへ かえり、いそいで この ことを きみこさんに しらせました。
「それは たいへんだわ。」
と、きみこさんは 子いぬを しんぱいしました。学校が おやすみなので、たけちゃんと さんちゃんを よびに いくと、すぐ ふたりは やって きました。そして どうしたら いいかと、みんなで そうだんしました。
「うんこを したぐらいで、いぬを ころそうなんて、ほんとうに らんぼうだよ。」
と、たけちゃんが おこりました。
「まだ 小さな かわいい いぬで、なんにも しらないのよ。とても 川など およげそうも ないわ。きっと ながされると おもうから、はやく いって たすけて やりましょうよ。」
と、みつこさんは みんなを せきたてました。
「その とき、みつこさんが とめれば よかったのよ。」
と、きみこさんが いいました。
「だって、うみぼうずは つよそうでしょう。わたし、そんな ゆうきが なかったわ。」
「いくら つよくても、むちゃな らんぼうを するのを、だまって みては いられないよ。」
と、さんちゃんが いいました。
「そうだ、ぼくと さんちゃんとなら、うみぼうずを やっつけられるね。」
と、たけちゃんが さんちゃんに さんせいしました。
「いえ、けんかしては だめよ。それより はやく いって とめましょう。」
と、きみこさんが かけだしたので、みんなも いっしょに 川の ほうへ かけだしました。
川の きしまで くると、日あたりの いい 土手は、いちめんに みどりいろの くさが はえて いました。しずかに なみなみと 水が ながれて、さかなが いそうに おもわれました。
すると あちらから つりざおと バケツを もって、子どもが きかかりました。
「きみ、いぬを つれた 子どもを みなかった。」
と、さんちゃんが ききました。
その 子は いま あるいて きた みちを ふりかえりながら、
「さっき、あっちの はしの ところで みたよ。」
と こたえました。
「ありがとう。」
みんなは、すみれや たんぽぽの さいて いる 土手の 上を はしりました。
十一
はしの ところまで くると、田んぼの ほそみちを あるいて いく、ふたりの 子どもの うしろすがたが みえました。
「あそこへ いくのは うみぼうずでは ない。いぬを つれて いないから きっと 川へ なげたんだろう。」
と、さんちゃんが いいました。
ふたりの すがたは だんだん かすんで しまいました。この とき、きみこさんが、
「どこかで クンクン いぬの なきごえが するじゃ ないの。」
と いって、川の きしを さがしました。
「ああ、ないて いる。きっと どこかに いるんだよ。」
と、たけちゃんも 土手を おりて、やぶかげを さがしました。
「ここだ、みんな はやく おいで。」
と、たけちゃんが さけびました。
白い 子いぬが 水ぎわの のいばらの 下で ふるえて いました。
「たすけて やろうよ。」
と、たけちゃんが 水ぎわへ おりかけました。
「おちると あぶないよ。」
と、さんちゃんは いって、たけちゃんの うわぎを しっかりと つかんで いました。
「たけちゃん、だいじょうぶ。」
と、きみこさんが 土手の 上で 気を もみました。
「いま そこへ だいて いくからね。」
たけちゃんは、ぬれて ぶるぶる ふるえて いる いぬを だいて 土手を あがり、やわらかな くさの 上に おきました。
「よく ながされなかったね。」
と、みつこさんは ハンケチを だして、いぬを ふきに かかると、きみこさんも いっしょに ぬれた からだを ふいて やりました。
「うみぼうずは きっと しんだと おもったろう。でも、たすかって よかった。」
と、さんちゃんは よろこびました。そして、みんなが いぬを とりまいて すわりました。とんぼが のぞきながら あたまの 上を とんで いきました。
「だれか この いぬを かって やらない。」
と、きみこさんが いいました。
「ぼく ほしいんだけど、ポチで おばあさんが こりたから、ゆるして くださらない だろう。」
と、たけちゃんが いいました。
「どうして。」
「だって、よその にわとりや うさぎを とって きて、いつも おばあさんが あやまりに いくんだもの。やっと ねえさんの おともだちに ポチを もらって もらったんだよ。」
「わたし、おかあさんに きいて みるわ。みんなも きて たのんで くださらない。」
と、みつこさんが いいました。
「たのんで あげるよ。いい おかあさんだから きっと きいて くださるだろう。」
と、さんちゃんが こたえました。
それから みんなで みつこさんの おうちへ いったけれど、おかあさんは すぐ うんとは おっしゃいませんでした。
「いきものを かうのは、なかなか せわの いる ものですよ。」
と いわれました。その とき、さんちゃんは、
「おばさん、みんなが なんでも シロの せわを しますよ。」
と いいました。
「おや、もう シロと いう 名まえまで ついたんですか。」
と、おかあさんは おわらいに なりました。そして、とうとう しょうちして くださいました。
ある あさ シロは、みつこさんに ついて 学校へ いきました。すると もんの ところで、うみぼうずと であいました。
「あっ、この いぬは おまえの とこの いぬかい。」
と、うみぼうずは びっくりして ききました。みつこさんは ふしぎに ゆうきが でて、じっと うみぼうずの かおを にらみながら、
「あんたが この いぬを 川へ すてたんでしょう。わたしたちが たすけて やったのよ。」
と いいました。
なんと おもったか、うみぼうずは かおを 赤く して にげて いきました。
十二
あつい 日でした。さか下の きんぎょやの みせ先で、学校がえりの たけちゃんと みつこさんが、あっぷ あっぷと およぐ きんぎょや こいを、ながめて いました。
すると みつこさんが、
「まあ うみぼうずよ、かんしんだわ。」
と いったので、たけちゃんも その ほうを ふりむくと、おじいさんの 車を おして、さかを のぼる 子どもが ありました。
「ああ、あの 子なら 三年生の きゅうちょうだよ。」
と、たけちゃんが いいました。
「だって、いぬを 川へ すてた わるい 子ね。」
「きっと、あとで こうかいを したのだろう。」
そう きくと、みつこさんは、このあいだ かおを 赤く して にげて いった すがたを おもいだしました。この はなしを、さんちゃんや きみこさんに すると、
「やはり 海の うみぼうずより、にんげんの うみぼうずの ほうが えらいんだな。」
と、さんちゃんが いいました。
「どうして。」
と、たけちゃんが ききました。
すると、きみこさんが、
「かみなりさまに おねがいしても 雨を ふらして くれないじゃ ないの。」
と いいました。
夕やけが して、あすも また お天気が つづきそうです。はたけの なすや きゅうりは しおれ、かだんの 花たちは あたまを たれて いました。
「おねがいが たりないのかも しれないわ。」
と、みつこさんが いいました。
「かみさま、どうぞ 雨を ふらして くださいまし。」
と、みんなで 空を おがみました。
この ありさまを 赤い くもの 上から、おひめさまが ごらんなさると、さっそく うみぼうずの ところへ いかれました。
その とき、うみぼうずは 大きな いわに こしを かけて、かもめの まいを ながめて いました。
「みんなが おねがいして います。はやく 雨を ふらして あげて ください。」
と、おひめさまは おたのみに なりました。うみぼうずは ものぐさそうに かおを むけると、
「にんげんが なまいきだから こまらせて やるのさ。つみの ない くじらや おとなしい おっとせいを いじめるばかりか、なんでも じぶんたちは できると いばって いる。雨を ふらさずに おいて、でんきも すいどうも とめたなら どんなに おもしろかろう。」
と、うみぼうずは わらいました。
「そうとも、にんげんぐらい じぶんかってな ものは ない。たいしょうが たまに 町へ でかけると、おせんこうを たてて おいかえすものな。」
と、うみへびが 青びかりの する からだを くねらせながら いいました。
「なかには ものの わからぬ 人も いますが、いい 人も たくさん います。わたしたちが かみさまと よばれるなら、こまる ものを だまって みて いる わけに いかないでしょう。」
と、おひめさまが いわれると、うみぼうずは あたまを たれて きいて いました。
「あなたが みんなの ねがいを きいて くださるなら わたしたちは あなたを 海の 王さまと あがめます。」
と、おひめさまは いわれました。
「なに、海の 王さまとな。」
と、にっこり うなずくと、うみぼうずは たちあがりました。そして けらいたちを よびあつめました。
たちまち あらしが さけび、くろくもが まきおこりました。ぴかぴか ゴロゴロ かみなりを とどろかして、うみぼうずは りくを めがけて しんぐんしました。みるまに、村も 町も 雨ぐもに つつまれて しまいました。
「おうい、夕立だぞ、夕立だぞ。」
と、はるか 下の ほうでは、人人が よろこびさけんで いました。
青空文庫より引用